なぜ私は、すぐに教えず「まず考えさせる」指導を大切にしているのか

塾の理念・ポリシー

個別塾をやっていると、
「先生がたくさん教えてくれないんですか?」
と言われることがあります。

でも実は私は、指導をする上で
ずっと意識していることがあります。

それは
すぐに答えを教えすぎないこと。
まず、生徒自身に考えてもらうこと。

これは私自身の経験から、
一番「後から効いてくる指導」だと
感じているからです。


なぜ「すぐ教える」方が楽なのか

正直に言うと、生徒が手を止めている時に
こちらが説明してしまう方が圧倒的に楽です。

例えば数学。
三角形の合同の証明で
生徒の手が止まっているとします。

本当は
「何が分かっていて」
「何がまだ分かっていないのか」
を一緒に整理した方がいいと
分かっているのですが

実際にはつい
「ここ、対応する辺はこれで…」
「この条件を使えば…」と
最初から最後まで流れを説明してしまうこともあります。

その方が早いし生徒も「なるほど!」と
言ってくれる。

教える側としてはその場は気持ち良く
終わります。


それでも「まず考えさせたい」と思う理由

でも、そのやり方を続けていると
あることに気づきます。

生徒はその問題は解けるけど
次に似た問題が出た時、また止まる。

つまり

  • 解き方は聞いた
  • 理解した気はする
  • でも、自分では再現できない

という状態になってしまう。

これは数学でも英語でも同じです。

「分かった」と「できる」は
実は全然別物なんだなと
何度も感じてきました。


実は今でも私自身がいちばん葛藤している

ここからは正直な反省も含めた話です。

「考えさせた方がいい」と
頭では分かっていても
実際の授業では、今でもつい
教えすぎてしまうことがあります。

特に生徒が完全にフリーズしている時。

「このまま何分も止まってたら可哀想かな」
「ヒント出した方が早いかな」

そう思って答えにかなり近いところまで
先に言ってしまう。

これは今でもよくあります。

つまり私は
「考えさせる指導を大切にしている」
と言いながら、まだ完璧には

できていない側の人間です。

でも、それでもやっぱり
「まず考えさせる方向」に
戻ろうとはしています。


英語の例:文法問題でも同じことが起きる

英語でも似たことがよく起きます。
特に文法問題の時です。

選択問題で手が止まっている生徒に対して

本当は
「まず主語どれ?」
「動詞どれ?」
「この文、そもそもどういう形?」
と、一緒に構造を確認した方がいいと
分かっているのですが、実際にはつい

「これは時制がポイントで…」
「ここ、受動態だから…」

と、答えに近いところまで
先に教えてしまうことがあります。

その方が早いし、その場では
「分かった感じ」になります。

でも後から振り返ると、
生徒は“考えた”というより
“教えられた道筋をなぞっただけ”

なっていることも多いです。

英語でも数学でも同じで
本当に力になるのは、

  • 正解を知ることより
  • 「そこに至るまで、何を考えたか」

の方だと頭では分かっているのに
つい手を出してしまう。

ここは今でも自分の課題だなと感じています。


答えを見るより思考を見る

今、私が一番大事にしたいと思っているのは
「この生徒は、何をどう考えたのか?」
を見ることです。

合っているか間違っているかよりも

  • どこで迷ったのか
  • 何を根拠にその答えを選んだのか
  • そもそも、どういう発想で解こうとしたのか

そこを知る方が、次に伸ばすポイントが
はっきり見えます。

答えだけ見ていると
「できている」
「できていない」
しか分かりません。

でも思考を見ると
「どこがズレているか」
「何が足りないか」
が見えてきます。


だからrank Aでは「考える時間」を大切にしています

rank Aでは
できるだけ生徒自身が考える時間を
大切にしています。

すぐに答えを教える方が短期的には楽ですし
分かりやすいです。

でも長い目で見ると、

  • 自分で考えた経験
  • 迷った経験
  • 間違えた経験

この積み重ねの方が
確実に「地力」になります。

正直に言えば、私自身もまだ修行中です。

つい教えすぎてしまうこともありますし
毎回完璧にできているわけではありません。

それでも
「この子は今、何を考えているんだろう?」
と立ち止まることだけは
これからも大切にし続けたいと思っています。

それがrank Aの指導の一番の核です。

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